江戸時代末期の天球儀?No.4 考察と推理

ここで、さまざまの要素を入れて、この天球儀の謎解きをしてみたいと思います
天体の発見年と発見者のリスト 凡例
   天球儀にあるもの
   天球儀にあるが発見年と食い違う
天王星 1781年 ハーシェル 海王星 1846年 ガレ 冥王星 1930年 トンボー
火星の衛星(0個) 木星の衛星(7個) 土星の衛星(4個)
フォボス  1877 ホール
ダイモス  1877 ホール

 


イオ・・・・・・・1610年 ガリレオ・ガリレイ
エウロパ・・・1610年 ガリレオ・ガリレイ
ガニメデ・・・1610年 ガリレオ ・ガリレイ
カリスト・・・・1610年 ガリレオ・ガリレイ
アマルテア・ 1892年 バーナード
ヒマリア・・・・1904年  ペリネ 
エララ・・・・・・1905年 ペリネ 
パシファエ・・ 1908年 メロッテ
ティタン・・・・ 1655年 ホイヘンス 
イアペトゥス・1671年 カッシーニ 
レア ・・・・・・・1672年 カッシーニ 
テシス・・・・・・1684年 カッシーニ 

ディオネ・・・・1684年 カッシーニ
ミマス・・・・・・1789年 ハーシェル
エンケラドゥス1789年 ハーシェル
ヒペリオン・・・1848年 ボンド
天王星の衛星(5個) 海王星の衛星(4個) 冥王星の衛星(3個)
エアリアル・・・・1851年 ラッセル 
アンブリエル・・1851年 ラッセル
タイタニア・・・・1787年 ハーシェル
オバロン・・・・・1787年 ハーシェル

ミランダ・・・・・・1948年 カイパー
トリトン    1846年 ラッセル 
ネレイド   1949年 カイパー 
ラリッサ   1989年 ボイジャー2号
プロテウス  1989年 ボイジャー2号
カロン 1978年
         
         

誠之館高校のOBからのメール
誠之館出身で、一昨年この現物をいじくっていたものとして、多少存じていることを書いてみます。 
この年、誠之館の新校舎増築に併せ、旧校舎との連絡橋の途中に、全卒業生の同窓会館として『誠之会館』が建てられ、その2階に、歴史資料館が設けられ、公開展示されています。≪誠之館同窓会HP参照≫
 私は偶然にもこの資料館の整備に立ち会って、展示物の中で、分解されたままだれも組み立てられなくなっていた六分儀を組み立てたり、
歴史上の人物などの写真や資料の展示作業やキャプションの製作にあたりました。 
 このときに、『天体運行儀(1)』も、多少手掛けましたが、あまりに損傷が激しく、将来専門家に修理させようということで、そのまま展示していました。
 各惑星の下から取り付けられた衛星は、大戦前後までに補修・追加などが行われていた可能性もあり、
針金細工のお粗末さから見て、製作当時のものはごく限られた衛星だけではないかと感じましたが・・・・・ 

 いずれにせよ、これらの遺物はいずれも誠之館が阿部家から頂いたもので、
戦争前後の混乱や戦後の教育改革やたび重なる学校移転の為、記念館に長く収納された後、
しばらくは福山美術館(歴史資料館の方か?)に預かってもらっていたのを、
長年の夢だった同窓会館『誠之会館』の完成にあわせて内部に資料館を設けてここに戻してもらったものです。
全国的にも例の無いほどの膨大な資料があり、生徒が直接歴史を学べる感心な設備となっています。
お時間のとれる方はいちどご覧においでになってはいかがでしょう。
 有限会社スマイルテクノロジー 吉原史治

中谷さんからの資料・文献
恒星社 新版 新天文学講座11「天文台と観測機器」第3版(昭和44年2月)を見て書いたのですが、
同じく恒星社の現代天文学講座15「天文学史」初版(昭和57年1月)によると、
はじめ、三球儀(太陽・地球・月)は、地球の公転・自転および月の公転の周期の比がでたらめのものであったが、
ジョージ・グラハムがはじめてほぼ実際に近い周期比で回転するものを作り(1700年)、次いでジョン・ローリーが1713年にオーラリー卿のために作った同様の
器械に対して、スティール卿によって"オーラリー"という名称が与えられた。それ以後、地球が公転と自転を行い、
月が公転を行うような模型を一般にオーラリーと呼ぶようになった。
そして、地球の自転は無視するが太陽系の各惑星の公転を表示するもの - 本来の意味でのプラネタリウム - も広い意味ではオーラリーと呼ばれる。
ということですから、この模型は後者の意味ではオーラリーと言ってよいかも知れません。

なんとこの本には
福山市の県立誠之館高校にはペリーから贈られたオーラリー(三球儀)とプラネタリウムが1基ずつ現存する。と書かれてます。
今回修理されたのは後者のプラネタリウムの方で、もう一つ三球儀が存在し、もしかするとそちらは本当にペリーの土産かもしれません。

冥王星に3個の衛星があると言うことは、明らかに製作時点で衛星を想像によって取り付けた感があり
1930年の冥王星発見当時の製作(75年後)と言うのであれば、もっと技術的に進歩しているはず。

火星の衛星発見年は1877年なので、これ以前ではないかと言う推測。
そうなると、この天球儀の制作年は会社設立当時の1855年〜1876年くらいが適当と考えられる。

どう見ても納得がいかないのが、なぜ木星に7個、土星が4個なのか?
木星のガリレオの衛星は、当時でも有名なはずで 最低限の史実を考慮すると
土星と、木星の衛星を付け間違えた?と、推測するのが正しいように思われる。
さらに火星に衛星が0個と言うことは火星の衛星が発見される前の1877年以前と言うこと

現在のインターネット時代と異なり、木星の衛星ヒペリオン・・・1848年発見
この発見の世界中に知らされるために、数年はかかったものと推測される。
要するに製造年月が、ぺりーより 先という話。

製造会社の謎

Ernst Schotte & Co. in Berlin と言う銘板に書かれた会社名。インターネット上で色々調べてみると

Ernst Schotte began making globes in Berlin in 1855.  Within 15 years, the company had expanded its
エルンスト・スコットと言う人物が1855年にベルリンで地球儀制作を始めこの会社は15年で直径の異なる9種類の
地球儀を15ヶ国語で製作するまでに会社を大きくした

しかしながらいくら探しても、現在はこの会社は存在しない (少なくとも、インターネット上では見つけることが出来ない)

ペリー来航時のみやげという謎
誠之館高校の話「ペリー来航の時のおみやげ」だとすると ペリー来航が嘉永六年(1853年)、
Ernst Schotte 社設立が1855年 近いけれど、時間的にはペリーが先という事になる。

ペリーはアメリカの人ですから、ドイツで製作されて この天球儀がまずアメリカに渡る必要がある。
さらに誠之館高校にお土産として持ち込まれたとしたら、当時の福山藩と江戸幕府。さらにペリーや東インド艦隊との
関係も、興味あるところです。

ここで、佐藤さんに確認をとった。木星の衛星は 痕跡も含めていくつあるの?

今、見たり写真を撮りましたが痕跡についてはよく分かりません。
衛星の針金を軸に穴を明けて差して溶接しているのですが針金が反対に少し出た状態のもあるし
塗装もしてあるし 不明瞭です。

木星の衛星取り付け部分の拡大写真。衛星が7個    土星は4個。

無事修理を完了して4月8日、誠之館高校の方へ引き渡しをされたそうです。
引き続き、正真正銘折り紙付き、ペリー来航時のおみやげ 三球儀の修理も佐藤さんが引き受けるそうで、
4月に新入生に見せるので、それが終わったら持ってくるそうです。

三球儀は太陽と月が欠損しているようで、また、修理の楽しみが出来ました。

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