2002年の谷村新司カレンダー。オール尾道ロケ!!うれしいネ〜。

表紙です 山手のどこか?

1月2月 どこだろうか・・・

遠くに山陽造船が見えます

御袖天満宮です

向島立花海岸

駅前の遊歩道ですね。

CDの表紙にも使われています

2003年8月 表紙にも使われている踏切の場所へ行ってきました。
写っているオッサンは私の友人。
山陽日々新聞 第16684号 平成15年4月24日(木曜日) The Sanyou Nichi Nichi Shinbun

今夏で終わるツアーの「アンコール」を
谷村さん尾道に来てと
「ソロプチ」が25周年で招聘活動を

尾道に特別な思い入れがある歌手谷村新司さんに「是非、尾道でコンサートを開いてほしい」と、
広島公演が行われた22日、国際ソロプチミスト尾道(吉田久恵会長)の役員に亀田市長が同行し、
谷村さん本人に"直訴"し、尾道市としての敬意の意を伝えた。

午後6時半からの公演とリハーサルの合間の時間、5時15分から会場の厚生年金会館の楽屋を、吉田会長と安部憲子次期会長、宮地伊奈25周年実行委員長に亀田市長、花本健治生涯学習課長5人が訪れた。リハーサルを終えた谷村さんは、Tシャツ姿でブラウン管と同じ笑顔で表われ、吉田会長から尾道招聘の熱いラブレターを手渡した。亀田市長はこの日、東京での前夜からの会合を終え、空路広島着。空港からその足で、会場へ駆けつけるという強行日程。尾道市民を代表して谷村さん製作の"尾道カレンダー"や"尾道の歌"に丁寧に礼を述べ、ソロプチの熱意を是非実現させてほしいと懇請した。
谷村さんは終始、笑顔を崩さず、有名芸能人らしからぬ丁寧な対応で、一昨年あたりから「何とか尾道でツアーが出来ないか?」と何度も下見、検討を重ねてきたこと。その結果、キャパシティー(収容能力)その他で尾道公演を断念した結果が今回のツアー(22日広島、24日倉敷)である。
7月20までの自分の最終ツアー(ここでツアーは終了する)はずでに決まっている。その後は(中日友好30周年等)中国へ行くこと。中国からいつ帰るかは自分も分からない。その後の音楽活動については全く白紙であること。

 こういう風に自分が直接、依頼をうけるというのは全く前例がなく、我々はシステムで動いており、それを無視して「ハイ、分かりました」と自分には答えることが出来ない立場であることなどを丁寧に説明した。
ソロプチから、来年6月までは25周年に当たり、来年でもよいので「ぜひ尾道で・・・」と強く要請。
本誌からも「谷村さんが尾道で尾道の歌を唄うのを是非、聴きたい。全国の谷村ファンから尾道でコンサートがあるなら必ず行きたい」という熱いメッセージが沢山届いていることなどを紹介し、アンコールの開催を是非尾道で検討してほしいと伝えた。市長は別れ際に、お忍びで尾道に遊びに来て下さいと誘ったが、谷村さんは「お忍びで行く時は連絡しませんから」と笑顔で応えていた。
商業ベースで交渉するには、尾道のような小都市には高くて厚いカベがあり、NHKちゅうごくソフトプランの山路宏総合プロデューサーらの尽力があって、谷村さん本人に会うことが出来た。
昨年の尾道版"カレンダー制作以来"「なぜ尾道は谷村さんを呼ばないのか?」という全国の谷村ファンからのお叱りを頂戴していた。
取りあえずは、尾道からの熱い思いと誠意が示されたことと、谷村さんの対応が素晴らしく好感度だったことで、公演のOKは即座には得られなかったものの意義ある要請活動になったといえる。
「今、自分がこの立場で約束できるのは、いつの日にかツアーを再開するときには、必ず、尾道に行きます」の一言に、ソロプチの役員等は感激、感謝していた。

昨年の尾道版"カレンダー制作以来"「なぜ尾道は谷村さんを呼ばないのか?」という全国の谷村ファンからのお叱りを頂戴していた。
取りあえずは、尾道からの熱い思いと誠意が示されたことと、谷村さんの対応が素晴らしく好感度だったことで、公演のOKは即座には得られなかったものの意義ある要請活動になったといえる。
「今、自分がこの立場で約束できるのは、いつの日にかツアーを再開するときには、必ず、尾道に行きます」の一言に、ソロプチの役員等は感激、感謝していた。

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